素朴な感覚

SNS等では、中川前大臣の死去を、病死・暗殺のどちらであろうと「戦死だよね、あれは」とみなしている人が多い。

そして、「靖国神社に祀ってほしい」「いや、いっそ昭一神社作りたいよね」という声もちらほらある。

私も、できれば昭一神社、無理なら靖国神社に、と結構真剣に思っていたりするわけだが、こういうネット上のやりとりを通じて、私は日本人の<昔から変わらない心情>を感じてた。

日本人がこの日本列島で神社やお社を作り始めた数千年の昔から、きっとこれは変わっていないんだろう。

功績のあった人、功績があったのに悲運の死を遂げた人、みんなのために力を尽くしてくれた人を、神様としてお祀りし、その人を偲び、身近に感じ、できれば自分たちの守護についてもらいたい。

そんな素朴な感覚で日本人は数千年にわたって、あちこちに神社を建てまくってきたんだと思う。

もちろん、死者を祭神として祀った神社だけではないが、例えば出雲神社だって本来は、出雲エリアの偉大な祭司王の死を悼んで偲んで作ったものと推測できる。

うんと近年の例では松陰神社や乃木神社、明治神宮、東郷神社がある。

個人を祭神としているわけではないが、靖国神社もこれに近いと思う。

 

ひとらー!